#6
「ダサい」と趣味の良し悪し
同志社大学|美学特論 (4)
水曜5限|第6回
松永伸司
2025.05.28
お知らせ
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Slidoのリンク、スライド資料のリンク、リアクションペーパーの提出用リンクはScrapbox上にあります。
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前回分のリアクションペーパーに対するリプライもScrapbox上でまとめます。
今日の授業のポイント
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「~はダサい」の用法の整理。いろんな使われ方がある。
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「趣味がよい/悪い」とは大まかにどういうことか。
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スノッブという概念とスノッブの諸タイプを理解する。スノッブの話は次回に回します。
今日のメニュー
1. 「ダサい」の事例の整理と分類
2. 趣味とはなんだ
3. 「ダサい」と趣味の良し悪し
注意点
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話の流れ上、「ダサい」と言われている事例をたくさん挙げることになりますが、どの事例が本当にダサいか(あるいはダサくないか)みたいな話は一切しません。授業の焦点は「ダサい物事」ではなく、「何かをダサいとする判断・言説」にあります。
1. 「ダサい」の事例の整理と分類
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ダサいものアンケート
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ストックしているダサ事例
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一旦まとめ
ダサいものアンケート [1/4]
「ダサい物事」のアンケート
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2023年度の京都大学での授業で、各人が「ダサい」と思う物事をSlidoで挙げてもらった。
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それらの事例を、主に以下の観点で整理・分類した。
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①「ダサい」とされる物事(ダサ判断の主語の指示対象)の種類は何か。
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②「ダサい」をどんな別の言葉に言い換えられるか。
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※ちなみに、このアンケートを実施した趣旨は、「一般にどういうものがダサいと思われているか」についての社会調査をしたかったということではなく、考えを整理する手がかりを得たかったくらいのことである。大まかにどういうバリエーションと論点があるかが得られればそれでよかったので、分類も適当になっている。
ダサいものアンケート [2/4]
結果① 「ダサい」とされる物事の種類
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「ダサい」とされる対象は、大まかに以下の種類に区分できる。
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物:単純に物そのものが「ダサい」とされるケース
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人の行為:誰かがする行為が「ダサい」とされるケース
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人の態度(選好を含む):誰かがとる態度が「ダサい」とされるケース
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人の能力:誰かが持つ能力が「ダサい」とされるケース
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ひとつのダサ判断が複数の種類の対象についての判断になっていると考えたほうがよいケースもけっこうある。たとえば、物について「ダサい」と言いつつ、その物を好む誰かの態度についても同時に「ダサい」と言っているように見えるケースがけっこうある。
ダサいものアンケート [3/4]
結果② 「ダサい」の言い換えのバリエーション
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ダサ判断の「ダサい」の部分を他の日常語で言い換えられるかどうか、言い換えられるとすればどういう語になるかを、個々の事例ごとに検討した。少なくとも次のページに挙げる語が「ダサい」の言い換え語の候補としてあると思われる。
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ただ、実際に作業してみて思ったことだが、それらが「ダサい」を言い換えた言葉なのか、あるいは「ダサい」という判断の理由を示す言葉なのかを区別するのがかなり困難だった。
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なので、"interchangeability"の列には、「ダサい」の理由を示すものも含まれていると思ったほうがよい。
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また、他の日常語に言い換えるのが難しそうな事例もいくらかあった。
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ダサいものアンケート [4/4]
「ダサい」の言い換え語の候補(とくに相互排他的なリストではない)
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見栄えが悪い
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趣味が悪い(物に対して)
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趣味が悪い(選好に対して)
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品がない
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どじ・間抜けである
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徳が低い
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せこい
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イキっている
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余裕がない
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ダサ要素(と言いたくなるような美的性質)がある
ストックしているダサ事例 [1/3]
ストックしているダサ事例 [2/3]
アニメキャラの私服
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「グッズ担当の人はマジでこれ頼む頼む頼むそこら辺の趣味で描いてるオタクはダサくても良いけど公式がダサいのは辛いよ」
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このツイートのリプライ・引用リツイートに画像付きの事例多数。
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ストックしているダサ事例 [3/3]
ストック事例の扱い
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最初に示した整理・分類の枠組みは、これらのストック事例もある程度問題なくカバーできるように思われる。
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ともかく、これらのストック事例は、この授業で考えたいダサ判断(何かを「ダサい」とする判断)の典型的な事例として扱う。
一旦まとめ [1/2]
ひとまずのまとめ
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「ダサい」とされるものの種類には、それなりの多様さがある。
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具体的には、物、行為、態度、能力など。
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ひとつのダサ判断の中に、こうした複数の種類の対象についての判断が同時に含まれていることもある。
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「ダサい」を別の言葉で言い換えられそうなケースはけっこうある。
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具体的には、見栄えが悪い、趣味が悪い、徳が低い、イキっている、など。
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一方で、他の言葉に言い換えるのが難しいケースもある。
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一旦まとめ [2/2]
以下で考えたいこと
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以上のように見ると、ダサ判断が人の傾向性(態度・能力)に対してなされるケースが少なからずある。そうしたケースでは、「ダサい」は、「趣味が悪い」や「(美的)センスがない」と言い換えられる場合が多そう。
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以下では、ひとまず次の2点にフォーカスして考えたい。
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①この意味での「趣味が悪い」「センスがない」とはどういうことか。
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②なぜ「ダサい」ことは、それがだめなことであるかのように言われるのか。仮にある人が「センスがない」として、そのことの何がだめなのか?
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Slido確認タイム
2. 趣味とはなんだ
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古典的な美学上の概念としての趣味
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最近の分析美学での議論
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一旦まとめ
古典的な美学上の概念としての趣味 [1/3]
美学史における趣味
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美学の入門書を読めば必ず書いてあることだが、「趣味(英独仏:taste / Geschmack / goût)」は、近代の美学史上で最重要概念のひとつ。
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「taste / Geschmack / goût」はもともと文字通りには、「味」あるいはそれを感じ取る感覚能力としての「味覚」を指す語。現代でもこの用法のほうが主である。
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17世紀ごろから、西洋の宮廷サロン文化の中で、この語は「良きふるまい」をしたり「良き物事」の分別を見分ける能力を指すのに使われ始めた。
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18世紀ごろになると、同じ語で「美しい/美しくない」を判別する能力を指す用法が確立した。その後、より一般的に美的判断をする能力を指す語として使われている。
※ちなみに、日本語ではhobbyのことも「趣味」と言うが、これはtasteの意味での「趣味」とは直接には関係ない概念なので注意(歴史的に言って完全に無関係でもないが)。
古典的な美学上の概念としての趣味 [2/3]
美学史における趣味(続き)
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デイヴィッド・ヒュームの「趣味の基準について(Of the Standard of Taste)」は、そうした美の判別能力としてのtasteを論じているわかりやすい例。
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イマヌエル・カントの『判断力批判』において、美についての判断が「趣味の判断 (Geschmacksurteil)」と呼ばれているのも、そうした事情による。
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美学史的に言えば、19世紀のロマン主義美学以降、趣味という概念は美学の中ではあまり論じられなくなるが、世間一般にはその概念が広く浸透していく。
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20世紀後半の社会学者ピエール・ブルデューは、いわゆる「趣味の良し悪し」が文化資本のあり方(たとえば各家庭が本や楽器といった文化的なアイテムをどれだけ所有しているかどうかの差)によってかなりの程度左右される(そしてそれが再生産されることで、クラス間の文化格差が生じる)ことを実証的に明らかにした。
古典的な美学上の概念としての趣味 [3/3]
勉強用の文献
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近代美学の趣味概念を勉強するときに最初に読んでおくべきもの:
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佐々木健一『美学辞典』(東京大学出版会)の「趣味」の項
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小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会)の第9章
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ブルデューの文化資本関係の本は入門書も含めてたくさん出ているが、いきなりブルデューの『ディスタンクシオン』を読むのはおすすめしない。最初に読む本のおすすめは以下:
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片岡栄美『趣味の社会学』青弓社
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最近の分析美学での議論 [1/3]
Martínez Marín & Schellekens(2022)
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最近たまたま勉強会で読んだ論文を紹介する。
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Irene Martínez Marín and Elisabeth Schellekens, "Aesthetic Taste: Perceptual Discernment or Emotional Sensibility?" in Jeremy Wyatt, Julia Zakkou and Dan Zeman (eds.), Perspectives on Taste: Aesthetics, Language, Metaphysics, and Experimental Philosophy (Routledge, 2022).
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美的判断のための能力という意味での「趣味」が、正確に言えばどういう能力なのかについてあらためて考えている論文。
最近の分析美学での議論 [2/3]
Martínez Marín & Schellekens(2022)の続き
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(著者たちによれば)趣味にはいろいろな役割があると言われるが、大きく分けると次の2つの考え方に分けられそう。
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(a) 趣味=知覚能力説:趣味は、鑑賞対象が持つ美的性質を知覚的に見分けるための能力である。この能力がないと、対象がどんな美的性質を持っているかを自分で見分けられない。
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(b) 趣味=感情能力説:趣味は、美的な良し悪しに対して適切に感情的に反応する能力である。この能力がないと、美的に価値の高いものに接しても何も感情がうごかなかったり、逆に美的に価値の低いものに感動したりする。
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最近の分析美学での議論 [3/3]
Martínez Marín & Schellekens(2022)の続きの続き
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(著者たちによれば)趣味が持つとされるこの2つの側面を別々に考えるより、統合的に考えたほうがよい。統合的に考えることで、趣味という能力の独特のあり方がより明確になる。
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著者たちの最終的な主張:
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「趣味を働かせることは、美的鑑賞の対象が持つ特性や内容に感情的に沿うことであると同時に、そのことによって特定の美的質〔をその対象が持つこと〕を確認することである。」(原文:To exercise aesthetic taste is, then, both a matter of aligning emotionally with the character or content of the object of aesthetic appreciation and of ascertaining the aesthetic qualities thereby available to us.)
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一旦まとめ [3/3]
「趣味とはなんだ」のまとめ
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「趣味」は美学の中で伝統的に論じられてきた概念で、美的判断をするための能力を指す。日本語で俗に言う「(美的)センス」に相当する。
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趣味には大まかに次の2つの側面があるとされる。
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美的性質を見分ける能力
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美的な良し悪しに感情的に反応する能力
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2つの側面を別々に考える立場もあるが、統合的に考える立場もある。
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この授業では(面倒な話はしたくないので)2つの側面を一応別々のものとしておきたい。
Slido確認タイム
3. 「ダサい」と趣味の良し悪し
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「ダサいとはなんだ」に部分的に答える
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ダサいことの何が悪いのか
「ダサいとはなんだ」に部分的に答える [1/3]
この授業で考えたいこと再掲
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この授業で考えたいことは次の2点だった。
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①この意味での「趣味が悪い」「センスがない」とはどういうことか。
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②なぜ「ダサい」ことは、それがだめなことであるかのように言われるのか。仮にある人が「センスがない」として、そのことの何がだめなのか?
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「ダサいとはなんだ」に部分的に答える [2/3]
①の問いへの答え
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前節の趣味についての議論を踏まえれば、①への答えは得られるように思われる。
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①の問いを言い換えると:「趣味が悪い」「センスがない」という意味で、誰かが「ダサい」と言われるとき、そこでは何が意味されているのか。
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①への答え:2つのケースがありえる。
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(a) 当の人が、対象が備える美的性質を知覚的に見分けることができていないという意味で「ダサい」と言われているケース。以前の回に紹介した「マリメッコは昭和の家電」の例は、これにぴったり当てはまる。
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(b) 当の人が、美的な良し悪しに対して適切な感情的反応ができていないという意味で「ダサい」と言われているケース。たとえば、価値が低いものに対して感動している(あるいはその逆)など。
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もちろん、個々のケースで(a)(b)が混ざっていることも多いだろう。
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「ダサいとはなんだ」に部分的に答える [3/3]
事例に当てはめる
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最初に挙げたダサ事例のそれぞれに当てはめてみて、この説明がそれなりにうまく行っているかどうか確認しよう。
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「アニメキャラの私服(公式)がダサい」問題には、ストレートに当てはまりそう。
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「ちょっと映画見るオタクが好きそうなチョイスでダサさ際立つ。」や「イーロン・マスクのセンスが終わっている」のケースも部分的にそれで説明できそう。
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一方で、イキり/ドヤりの態度も含めて「ダサい」と言われる場合は、さらに追加の説明が必要であるように思える。そうしたケースでは、ただ単に「趣味が悪い」と言われているだけではなく、それ以上の何らかのニュアンスが付随しているように思える(イーロン・マスクやスタバでマックはイキりが見えるのも含めてダサい)。なんなら、センス自体は悪くないがイキった態度をしていることそのものが「ダサい」とされる事例もあるだろう。
ダサいことの何が悪いのか [1/2]
②の問いを考える
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おそらく、ただ単に趣味が悪いだけなら(ダサいと言われることはあっても)そこまでdisられることはなさそう。イキりが入っているほうが圧倒的に揶揄されやすい。
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この問題は、先に挙げた2つめの問いを考えることで答えられるかもしれない。
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②なぜ「ダサい」ことは、それがだめなことであるかのように言われるのか。仮にある人が「センスがない」として、そのことの何がだめなのか?
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ダサいことの何が悪いのか [2/2]
次回の予告
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この②の論点は、美的スノッブ=美的俗物(aesthetic snob)という概念を導入することで、より明確に整理できると思われる。
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スノッブの説明と、スノッブとダサ判断の関係については、次回の授業で扱う。
リアクションペーパーについて
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提出用のリンクはScrapboxにあります。
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次回の授業は応答篇にする予定でしたが、スノッブの話をするので、前半講義、後半応答みたいな感じになると思います。あるいは、応答篇は次々回に先送りすることになるかもしれません。あらかじめご了承ください。
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いずれにせよ、リアクションペーパーには質問・疑問や、何か話のネタになりそうなことを書いていただけると助かります。
スライドおわり
同志社大学 美学特論(4) #6
By Shinji Matsunaga
同志社大学 美学特論(4) #6
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